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「“ゴルゴ13”の最終回は頭の中に」さいとう・たかをのやり残したこと〈週刊朝日〉 [さいとう・たかをのやり残したこと]

さいとう・たかをのやり残したこと
「“ゴルゴ”の最終回は頭の中に」
〈週刊朝日〉

さいとう・たかを.GIF
さいとう・たかを/1936年、和歌山県生まれ。
大阪府育ち。おもな作品に『無用ノ介』
『サバイバル』『鬼平犯科帳』など。
「連載50周年記念特別展 
さいとう・たかを ゴルゴ13」を開催
(盛岡展7月21日~9月9日、
川崎展9月22日~11月30日)
(撮影/加...

もし、あのとき、
別の選択をしていたなら──。

ひょんなことから運命は
回り出します。

人生に「if」はありませんが、
誰しも実はやりたかったこと、
やり残したこと、
できたはずのことがあるのでは
ないでしょうか。

昭和から平成と激動の時代を
切り開いてきた著名人に、
人生の岐路に立ち返ってもらい、
「もう一つの自分史」を
語ってもらいます。

今回は劇画家、
さいとう・たかをさんです。


*  *  *


私は自分が天才ではないことは
よくわかっていました。

あくまで職人であり、
職人として読者を
楽しませるものを
60年以上描き続けて
きたことに誇りを
持っています。

さいとう・たかをの代名詞と言われる
『ゴルゴ13』は好きで描き始めたわけ
じゃなくて、キャラクター設定も
ストーリーも、とことん計算して
「こういう作品がウケるに違いない」
と狙って始めました。


毎回、どういう展開でどういう
コマ割りにすれば読者が喜ぶか、
とことん理詰めで描いています。


それが代表作になっていると
いうのは、職人であろうとして
きた自分にとっては
喜ばしいことかもしれません。

――家業は理髪店。父親は、
絵描き、写真家、彫刻家、
役者……とさまざまなことに
手を出しては失敗し、
さいとうが小学1年のときに
家を出ていった。


子どものころから母親に
「床屋になれ」と言われ続けて、
中学を出たら理容学校に
行かされました。

サボってばっかりいましたが、
どうにか半年遅れで卒業して、
姉とふたりで理髪店を始めました。


手先は器用だったので、
そこそこ客もついて、
店は繁盛しました。


ひいきのお客さんもつき始めて、
それなりにやりがいも
感じていました。

ただ、理容師としては
致命的だったんです。

カミソリを持つのが怖かった。

いくらやっても慣れずに、
緊張して体が固まってしまう。



子どものころから絵が
大好きで得意でした。

でも、おやじを見ていた
おふくろは、私が絵を
描くことを極端に嫌いました。

大阪府の展覧会で金賞を
もらった絵も、チラッと
見ただけで丸めてかまどに
くべてしまった。

おやじみたいな人間に
育つのが怖かったんでしょうね。


母に言わせると、
私は特におやじに
似ているそうです。


子どものころから母親に
「床屋になれ」と言われ続けて、
中学を出たら理容学校に
行かされました。

サボってばっかりいましたが、
どうにか半年遅れで卒業して、
姉とふたりで理髪店を始めました。

手先は器用だったので、
そこそこ客もついて、
店は繁盛しました。

ひいきのお客さんもつき始めて、
それなりにやりがいも
感じていました。

ただ、理容師としては
致命的だったんです。
カミソリを持つのが怖かった。
いくらやっても慣れずに、
緊張して体が固まってしまう。


こんな調子ではとても
続けられないと考えたとき、
「やっぱり漫画を描きたい」
という気持ちが膨らんで
きたんです。

仕事を終えてから、
夜中にこっそり漫画を
描き始めました。


案の定、おふくろに見つかって、
ものすごい勢いで怒られました。
おふくろは泣きながら
「好きこのんで野垂れ
死にするつもりか」ってね。

でもそのとき、
おふくろに生まれて初めて
盾突きました。

「この仕事は将来性があるんだ」と
言い張ったんです。
あそこで勇気を出してなかったら、
カミソリの扱いがヘタクソな
理容師を嫌々続けて
いたかもしれません。

おふくろもビックリしたのか、
「1年だけ」という条件で
許してくれました。

諦めさせるための口実だったのかも
しれません。

朝早くから夜遅くまで理容師を
やって、夜中に漫画を描くという
生活を続けました。

休みも盆暮れだけ。

姉貴も助けてくれたし、
目標があると人間は
頑張れるんですね。

もうすぐ1年たつというときに
長編を完成させました。

当時は貸本ブーム。

出版社に持ち込んだらすぐに
本になることが決まったんです。


昭和30年に『空気男爵』という
作品でデビュー。

どんどん注文が来て店のほうは
姉貴に任せっきりで、
わけもわからず描きまくって、
次々に本になりました。


おふくろは、認めてくれたのか、
体を壊していたからか、
黙って見守ってくれましたね。

ただ、出た本には何の興味も
示しませんでした。

デビュー作だけは病床に
持っていったんですが、
読んでくれたかどうかは
わかりません。

――終戦直後、11歳のときに
手塚治虫の『新寶島』を読んで
「紙で映画みたいなことが
できるんだ!」と衝撃を受けた。

同時に
「漫画という分野は絶対に伸びる」
と確信した。

予想外の早さで、想像をはるかに
超える成長ぶりでしたね。

まさか目の黒いうちに、
漫画業界がここまで
大きくなるとは
思いませんでした。

私は“活動写真”が“映画”と
呼ばれるようになったのと同じで、
ストーリー漫画を“劇画”と
呼ぶようにしました。

映画で100人出てくるシーンを
作るとしたら、どれだけ
たいへんなことか。

でも劇画ならペン1本で、
100人でも200人でも、
どんなアングルからの
シーンでも作れる。

こんな素晴らしい
表現方法はありません。


ところが、劇画は、
特に昔は「ひとりで描くもの」と
いう固定観念が強かった。

映画で言ったら、
チャプリンみたいな天才ばかりを
探しているようなものです。


この世界でも手塚治虫先生みたいな
天才は出ますが、分業にすれば
もっともっとたくさんの作品を
世に送り出すことができる。

それに、絵は描けるけど話が
作れない、話は作れるけど
絵はうまくない、
そんな人がいつの間にか
消えていくのをたくさん
見てきました。

それはもったいないし、
天才しかやれない
なんていうのは、
職業とは言えません。


私がほかの劇画家仲間と
一番違っていたのは、
劇画を「職業」として
考えていたこと。

その意識があったから、
劇画で初めて「分業体制」を
取り入れました。

映画は監督がいて脚本家がいて
プロデューサーがいて集団で
作っていく。

そんなふうに劇画の世界を
変えたかったのです。

――昭和35年に
さいとう・プロダクションを設立。
新しいスタイルでの作品作りを
スタートさせた。

入ってくるスタッフにとって、
私はあくまでライバル
なんですよね。

もっとプロデューサーに
徹することができたら、
劇画の世界は大きく
変わったかもしれない。

そこは劇画家人生最大の
ポカでしたね。

――代表作の『ゴルゴ13』は、
今年で連載50周年を迎える。

単行本は現在、189巻を数える。

当初は10話で終わる予定だったので、
最終回のストーリーは頭の中で
もう決まっています。

一時期、最終回のラフが
金庫にしまってあるなんて
うわさもありましたけど、
それはデマです。

私の頭の中にしかありません。

いつ発表することになるのか、
あるいは私が急にどうにかなって、
永遠に発表する機会は訪れないのか、
さてどうなるんでしょうね。



一応、分業化の先鞭はつけられた
と思うけど、「まだまだやれたはずだ」と
いう思いもあります。

グループ分けして、
それぞれで描いていったら
すごい数の作品が作れたんだけど。

結局、
「さいとう・たかをの
さいとう・プロ」に
なってしまった。

入ってくるスタッフにとって、
私はあくまでライバルなんですよね。
もっとプロデューサーに
徹することができたら、
劇画の世界は大きく
変わったかもしれない。

そこは劇画家人生最大の
ポカでしたね。

――代表作の『ゴルゴ13』は、
今年で連載50周年を迎える。
単行本は現在、189巻を数える。

当初は10話で終わる予定だったので、
最終回のストーリーは頭の中でもう
決まっています。
一時期、最終回のラフが金庫に
しまってあるなんてうわさも
ありましたけど、
それはデマです。
私の頭の中にしかありません。
いつ発表することになるのか、
あるいは私が急にどうにかなって、
永遠に発表する機会は訪れないのか、
さてどうなるんでしょうね。


仕事以外でやり残したこと? 

まあ、私生活だね。

やり残したというかやり
損ねたというか。

亭主も父親もまともに
やれなくて、2回結婚に
失敗しました。


子どものころから家に
父親がいなくて、
きょうだいも年が
離れていたせいか、
家族の形を知らないまま
大人になった。


そもそも、結婚という形態
そのものに不信感を持って
いるからいけないのかな。


一生ひとりだけを愛し続ける
なんてあり得ない。

世の中にはこんなにたくさんの
異性がいるのに、無理があります。


子どもは娘が3人。

最初のカミさんとのあいだに
生まれたいちばん上の娘が、
このあいだ還暦になりました。

最近、やっと父親らしい
扱いをしてくれます。


死んでも作品が読み継がれて
いくからいいですね、
なんていう人もいるけど、
死んだ後のことは知った
こっちゃない。

いや、読んでもらえるのは
もちろんうれしいですけどね。

(聞き手/石原壮一郎)



AERA dot. 7/14(土) 11:30配信


最終更新:7/14(土) 15:54

※週刊朝日  2018年7月20日号



https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180712-00000012-sasahi-ent&p=1
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